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最高裁判所第三小法廷 昭和59年(行ツ)36号 判決 1989年4月25日

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人らの負担とする。

理由

上告代理人石井将、同谷川宮太郎、同市川俊司、同服部弘昭、同鎌形寛之、同武子、同藤原修身、同生井重男、同高橋政雄、同小川正、同山上知裕の上告理由第一点について

地方公務員法三七条一項の規定が憲法二八条に違反するものでないことは、当裁判所大法廷判決(昭和四四年(あ)第一二七五号同五一年五月二一日判決・刑集三〇巻五号一一七八頁)の判示するところであり、また、地方公営企業に勤務する一般職の地方公営企業労働関係法一一条一項の規定が、同法附則四項の規定により右地方公営企業職員以外の単純な労務に雇用される一般職の地方公務員に準用される場合を含めて、憲法二八条に違反するものでないことは、当裁判所大法廷判決(昭和四四年(あ)第二五七一号同五二年五月四日判決・刑集三一巻三号一八二頁)の趣旨に徴して明らかである(最高裁昭和五六年(行ツ)第三七号同六三年一二月八日第一小法廷判決・民集四二巻一〇号七三九頁、同昭和五七年(行ツ)第一三一号同六三年一二月九日第二小法廷判決・民集四二巻一〇号八八〇頁参照)。これと同趣旨の原審の判断は正当であり、論旨は採用することができない。

同第二点について

地方公務員に懲戒事由がある場合において懲戒権者が裁量権の行使としてした懲戒処分は、それが社会観念上著しく妥当を欠き裁量権を濫用したものと認められる場合でないかぎり違法とならないと解すべきところ、原審の適法に確定した事実関係のもとにおいて、上告人らに対する本件各懲戒処分が社会観念上著しく妥当を欠くものとまではいえず、懲戒権者に任された裁量権の範囲を超え、これを濫用したものとはいえないとした原審の判断は、正当として是認することができる。原判決に所論の違法はなく、論旨は採用することができない。

よつて、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇一条、九五条、八九条、九三条に従い、裁判官坂上寿夫の補足意見、裁判官伊藤正己の反対意見及び補足意見があるほか、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

裁判官坂上寿夫の補足意見は、次のとおりである。

私は、地方公務員法三七条一項、地方公営企業労働関係法(以下「地公労法」という。)一一条一項の規定が憲法二八条に違反するものでないとし、また上告人らに対する本件各懲戒処分が裁量権の濫用に当たらないとする多数意見に賛成するものであるが、右争議行為禁止規定を合憲とする論拠については、多数意見の引用する最高裁昭和五二年五月四日大法廷判決(名古屋中郵判決)が公務員の労働基本権の制限、具体的には公共企業体等労働関係法(昭和六一年法律第九三号による改正前のもの)一七条一項の規定の合憲性に関して説示するところと異なる見解を有しており、また、右と関連して、右争議行為禁止規定に違反した者に対し制裁として課せられる懲戒処分の適法性の審査についても、若干考えるところがあるので、以下において、私の見解を述べておきたい(なお、最高裁昭和五七年(行ツ)第一七九号同六二年三月二〇日第三小法廷判決・裁判集民事一五〇号三八九頁における私の反対意見参照)。

公務員も、勤労者として、自己の労務を提供することにより生活の資を得ているものであり、その点で一般の勤労者と異なるところはないのであつて、憲法二八条の労働基本権の保障は公務員に及ぶものと解すべきである。公務員の勤務条件については勤務条件法定主義、財政民主主義からする憲法上の制約があることは当然であり、このことは現業の地方公務員の勤務条件についてもあてはまるが、そのことの故に、公務員については、憲法上団体交渉権の保障がなく、争議権もまた保障されていないと結論することには疑問がある。すなわち、公務員の勤務条件に関して、国会又は地方議会の議決に至るまでの過程において団体交渉の余地が存することはいうまでもないところであり、それを実効あらしめるために争議権を認めても、勤務条件法定主義にも財政民主主義にも反するものではないと考えられるからである。

憲法二八条の保障する労働基本権も、もとより、絶対的無制限なものではなく、国民生活全体の利益の擁護という見地からの制約があるものと解さなければならない。そして、憲法で保障された団体交渉権、争議権についてどのような制約が許されるかは、労働基本権の尊重の要請と国民生活全体の利益の擁護の要請とを比較衡量して両者が調和するように決定すべきものと考えられる(最高裁昭和三九年(あ)第二九六号同四一年一〇月二六日大法廷判決・刑集二〇巻八号九〇一頁参照)。非現業の地方公務員のみならず、現業の地方公務員の従事する業務も、多かれ少なかれ、また直接と間接との相違はあつても、国民生活全体の利益と関連を有するものであり、現実に地方公務員の罷業、怠業等が国民生活の利益を害し、国民生活に重大な影響を及ぼすおそれのあることは否定できないから、国民生活全体の利益を擁護するため地方公務員の争議行為を一律に禁止し、その禁止に違反した者に対し民事上の免責効果を否定し、解雇、懲戒処分の不利益を課することにしても、それは合理的な制約として許されるものというべきである。地方公務員法三七条一項、地公労法一一条一項の規定が憲法二八条に違反するものではないとする結論は、右の見地から肯認できるものである。もつとも、非現業の公務員と、民間の勤労者と同質の業務に従事するのが通常である現業公務員との間には、その職責、ひいてはその提供すべき労務の内容に質的な差があるから、労働基本権の制約の必要性を判断するに当たつては、この点の差異が考慮されなければならないといえよう。地公労法が、地方公営企業の職員に対して争議行為を禁止しながら、他方団体交渉権、団体協約締結権を規定している(七条)のは、現業の地方公務員の従事する業務の性質等を考慮して労働基本権のうち争議権のみを制限することとしたものとして理解することができるのであり、これを単に立法政策の問題として説明するのは当を得たものとはいえない。

ところで、争議行為禁止規定に違反した者が懲戒等の制裁の対象とされることは免れないところであるが、争議行為禁止規定は国民生活全体の利益を擁護するためのやむをえない措置として労働基本権を制約するものであるから、右規定に違反する行為の違法性の程度は、国民生活全体の利益と労働基本権を保障することにより実現しようとする法益とを比較衡量し両者を調整する見地から、当該行為が国民生活に及ぼした影響、争議行為をなすに至つた経緯、その目的等の事情を考慮して判断することが必要であり、右違反者に対し課せられる制裁としての懲戒処分は、必要な限度を超えないように、当該行為の違法性の程度に応じて慎重に決定されなければならない。なお、争議行為が国民生活に及ぼす影響については、事案に即し具体的状況を考慮して判断するほかないが、現業の公務員の場合一般的にいえることは、その行う業務が等しく国民生活全体の利益に関連を有するといつても、それぞれの業態、業務の内容により国民生活とのかかわり方は一様でなく、その業務の停廃が国民生活に及ぼす影響には差があるということである。右懲戒処分について裁量権の濫用の有無を判断するに当たつては、以上の観点からする処分の相当性の審査が欠かせないものであり、それが右のようにして判断される当該行為の違法性の程度に照らして著しく均衡を失したものである場合には、裁量権を濫用したものとして取消しを免れないものといわなければならない。

そこで、本件についてみるに、本件争議行為は、病院職員二六六名を減員するなどの支出節減項目等を含む北九州市の病院事業及び水道事業に関する財政再建計画に反対し、その撤回を求めて実施されたものであり、その目的には酌むべきものがある。しかしながら、一方、右職員の減員等は当時の財政窮迫状態を打開するため緊急に必要なやむをえない措置として計画されたもので、そうすることに相応の根拠があつたものであり、当局側が右計画について誠実に団体交渉を行う義務を尽くさなかつたとはいえないことは、原判示のとおりであり、その他、争議として、昭和四二年一二月一四日には市長部局の各部門、教育委員会で関係組合所属の職員(職員総数に対する比率はそれぞれ一五・八パーセント、九パーセント)による一時間の職場放棄が、翌一五日には同市立の二病院において、二四時間にわたり、日曜・休日なみの診療体制とすることを余儀なくさせる同盟罷業が行われ、右各行為はそれぞれ業務の停廃をもたらし、特に後者の同盟罷業は市民生活に相当の影響を及ぼしたこと、また、上告人らはいずれも同市の事務吏員であるところ、上告人平田長雄を除くその余の上告人らはそれぞれ北九州市職員組合の役員として、右争議行為を企画、指導し、これに参加したものであることなどの諸事情を考慮するときは、私の考え方に立つても、右上告人らに対する六か月以下の各停職処分については、その行為の違法性の程度と対比して社会観念上著しく妥当を欠くものということはできない。また、懲戒免職は公務員たる地位を剥奪する処分であり、制裁として停職とは質的に異なるものがあるのであつて、上告人平田長雄に対する懲戒免職処分はやや重きにすぎるのではないかとの感はあるが、右の諸事情のほか、同上告人は北九州市職員組合、北九州市病院労働組合の各執行委員長の地位にあつて、本件争議行為に際しては全日本自治団体労働組合現地闘争本部の副本部長等として最高責任者の立場に立ち主導的役割を果たしたものであることに照らしてみると、右処分も社会観念上著しく妥当を欠くとまではいえないように思われる。

裁判官伊藤正己の反対意見及び補足意見は、次のとおりである。

一  本件は、地方公務員法三七条一項、地方公営企業労働関係法(以下「地公労法」という。)一一条一項に違反してされた争議行為を理由として、労働組合の役員である上告人らに対して行われた懲戒処分をめぐる訴訟であり、右条項の違憲の主張が論旨の中心をなしている。地公労法一一条一項の規定の合憲性に関してはまだ当裁判所大法廷の判決は存在しない。多数意見は、当裁判所大法廷判決(昭和四四年(あ)第一二七五号同五一年五月二一日判決・刑集三〇巻五号一一七八頁。以下「岩手県教組判決」という。)に従い、地方公務員法三七条一項の規定を合憲とし、また、公共企業体等(現在は国営企業)の職員について争議行為を禁止する公共企業体等労働関係法(以下「公労法」という。現在は国営企業労働関係法)一七条一項の規定が憲法二八条に違反しないとする当裁判所大法廷判決(昭和四四年(あ)第二五七一号同五二年五月四日判決・刑集三一巻三号一八二頁。以下「名古屋中郵判決」という。)を根拠とし、その趣旨に徴して、地公労法一一条一項の規定を合憲と判示している。私は、右争議行為禁止規定を法令として合憲とする多数意見に異論をもつものではないが、公共部門の勤労者の労働基本権にきびしい態度をとる一連の当裁判所の判例はなお妥当性をもつといえるか、かりに妥当な憲法解釈であるとしてもその射程範囲をどう考えるべきか、右争議行為禁止規定が違憲無効ではないとしても、右禁止違反に対する制裁として刑事罰を加え、あるいは懲戒処分を行うについては、憲法の保障する労働基本権との関係で一定の制約があるのではないか、またこのような制裁を課することが違憲となる場合もありうるのではないかなどの諸点は、検討に値すると思われるので、以下において、やや立ち入つて私の見解を述べ、その上で本件懲戒処分の適否について私の見解を述べることとしたい。

二(1) 公務員もまた勤労者として自己の労務を提供して生活の資を得ているのであつて、一般の勤労者と異なるところはなく、憲法二八条にいう勤労者に当たり、当然に労働基本権が保障されている。このことは当裁判所の累次の判例もすべて認めているところであり、非現業の国家公務員、国営企業の職員、非現業の地方公務員、地方公営企業の職員(以下、一括して「公務員等」という。)のいかんを問わず、そう考えてよい。もとより公務員等はその勤務の性質上労働基本権に制約のあることはいうまでもないが、それは一般の私企業の労働者に比して制約が大きいというにとどまり、基本的人権である以上、争議権を含めてその保障をできる限り広く認めるのが憲法の趣旨にかなうというべきである。したがつて、公務員が憲法二八条の勤労者に入らないという解釈をとるのであればともかく、そこに含まれるとする以上、実質上労働基本権を否定するに等しい解釈運用は許されないのである。また、労働基本権にどの程度の制約を加えるかの決定は立法政策にゆだねられるところが少なくないが、憲法上その制約が是認されるためにはそれだけの合理的理由が必要であつて、それを欠くときは憲法に反するという見地をとるべきであり、また、立法が労働基本権に含まれる権利を公務員等に付与している場合、これを立法の裁量によつて与えられたもので憲法もそれを許容しているというような観点でとらえるのではなく、立法が憲法の趣旨を実現しているものと評価すべきものと思われる。多数意見の依拠する名古屋中郵判決をはじめとして公共部門の労働基本権の制約を合憲とする諸判例は、違憲の主張を排斥するためではあるが、公務員等の労働基本権を抑制するために働く論拠(これらについてはのちに検討する。)を追求するに急であつて、それが基本的人権であるということについての配慮が不足しているのではないかという反省が望まれるのではなかろうか。

(2) 公務員等の労働基本権が私企業の労働者のそれに比して大きな制約を受けることは承認するとしても、公務員等を一律に考えることの当否が問題となる。公務員等の職務内容は公共の利益に奉仕するものであり、その職務の懈怠があれば公務の運営を阻害し、公共の利益を損なうおそれがあることはたしかであるが、公務員等の職務の公共性の程度はさまざまであり、その懈怠の結果も多種多様である。ある種の公務員の職務の懈怠は国家社会の安全を脅かす可能性があると考えられ、これについて争議権はもとより他の労働基本権もきびしく制限されざるをえない。他方で、国や地方公共団体の行う事務が益々増大し、公務員等の大部分を占める者の行う職務は一般福祉施設や経済活動にかかわる事務であり、それらの事務運営が阻害されることの公共への影響も均一ではない。ここから労働基本権とくに争議権を一律に規制することが憲法上正当性をもつかどうかが問われることになろうが、少なくとも右のような職務の多様性は、争議行為禁止の法の具体的適用において無視することはできないであろう。地方公務員の扱う事務も、国家公務員のそれと相違ないものが少なくないが、すべて同じと考えてよいかどうかも問題である。そして本件で問題になる地方公営企業の職員及び単純労務を行う職員(これは一般職の地方公務員であるが、地公労法附則四項の規定によつて地公労法が準用される。)の従事する業務は、公共的性質を有する私企業のそれに近く、その公共性の度合は、労働関係調整法において公益事業とされている事業等と比べ、同等かそれより低いものが多いのである。公務員等の争議行為の違法性を考えるにあたつては、このような業務の差のあることを意識して具体的事案に即して判断すべきであり、公務員等を画一的に考えることは相当でなく、名古屋中郵判決が是認されるとしても、その抽象的論理をもつて直ちに地方公務員とくに地公労法の適用準用をうける職員にも及ぶとするのは即断にすぎよう。なお、実定法上も、地公労法は、職員に対して争議行為を禁止しているが、団結権(五条)はもとより団体交渉権、団体協約締結権(七条)を認めており、さらに締結された協約が条例や規則に抵触したとき、その抵触を解消するために条例の改正等に係る議案を議会に付議し、規則の改正等のための措置をとるべきことが定められている(八条、九条)のは、憲法の趣旨に沿うものであり、かつ、地方公営企業の職員の特殊性に着目しているものといえるのである。

三  以上は、公共部門における労働基本権についての考え方の出発点ともいうべきものに関する私見を述べたが、本件は争議権にかかわる事案であるから、以下は法律をもつてする公務員等に対する争議行為の禁止に焦点をむけて検討を加えることにしよう。

地方公営企業の職員に対して争議行為を全面的に禁止している地公労法一一条一項の規定は憲法二八条に違反するか。当裁判所は、国家公務員法、地方公務員法、公労法(国営企業労働関係法)について、争議行為を禁止している規定を合憲と判示し、この判例はすでに確定したものといつてよい。そして公共部門における労働基本権の保障に深い理解を示している判例(最高裁昭和三九年(あ)第二九六号同四一年一〇月二六日大法廷判決・刑集二〇巻八号九〇一頁。以下「東京中郵判決」という。)もまた、公労法一七条一項による争議行為禁止の違反を根拠として刑事罰を課することに関してかなりきびしい限定解釈を行つているが、同条項を法令として違憲のものとは判示していない。これと異なる見解を採用した以後の諸判例(とくに名古屋中郵判決)は、このような限定解釈を付することなしに合憲と判示している。私は、前記二において示した基本的な考え方に立つて、労働基本権の保障を十分に考慮するにしても、これらの諸法律による争議行為の禁止をもつて違憲の法令と断ずることはできないと考えている(公労法一七条一項の規定に関しては、すでに最高裁昭和五七年(行ツ)第一七九号同六二年三月二〇日第三小法廷判決・裁判集民事一五〇号三八九頁における私の補足意見でその旨を述べた。)。その理由は、後記四で検討を加える名古屋中郵判決の提示する四点の論拠、とくに公務員等の職務の停廃は直ちに公務の円滑な運営を阻害し、ひいては公共の利益を損なう可能性の強いことを考えるとき、これらの法律による争議行為の禁止を直ちに法令として違憲無効のものと断定することは相当でないからである(もとより争議権について、公務員等の職務の内容などに応じていま少し慎重な配慮があつてもよいように思われるが、これは立法政策の問題である。)。地方公営企業の職員の場合、他の公務員等と多少異なる面のあることはたしかであるが、公労法一七条一項等を合憲とする論拠が基本的にほぼ妥当するものであり、これを他と区別してあえて違憲とする理由に乏しいといわねばならない。

なお、本件は、法により禁止されている争議行為を行つたことを理由としてされた懲戒処分を争うものであつて、刑事罰を課せられた事案ではないから、争議行為の禁止と刑事制裁の関係についてここで立ち入ることは適当でないかもしれないが、傍論として一言しておきたい。私は、判例変更により当裁判所の見解は変えられているにもかかわらず、なお東京中郵判決の多数意見の立場が基本的に正当であると考えており、その限定解釈の内容は細部について多少の異論がないではないが、大綱においてそこで示されたような限定解釈を付することによつて、争議行為の禁止を刑事罰をもつて強制することが合憲と判断されると解するのが相当であると思われる。このような限定を加えることなしに、およそ公務員等の行う争議行為は違法な行為として刑事罰の対象となることを免れないとするならば、憲法の労働基本権の保障の趣旨からも、刑罰における謙抑主義の原則からも、その法令は違憲といわざるをえないであろう。限定解釈を行うことにより法令の違憲性を消除し、それを合憲とする憲法解釈の方法は、労働基本権に関する事件ではないが、最近の当裁判所の大法廷判決においてしばしばあらわれていることを注目してよいであろう(最高裁昭和五七年(行ツ)第一五六号同五九年一二月一二日大法廷判決・民集三八巻一二号一三〇八頁、同昭和五七年(あ)第六二一号同六〇年一〇月二三日大法廷判決・刑集三九巻六号四一三頁参照)。

四  地方公務員法三七条一項、地公労法一一条一項の規定が法令違憲といえないとしても、右争議行為禁止に違反した者に対して課せられる制裁措置については、必要な限度を超えないように十分に配慮がなされなければならない。右規定は一律全面的に争議行為を禁止しているから、職員が争議行為を行つた場合には原則としての違法の評価を免れないが、その違法性の程度については、憲法二八条に定める労働基本権の保障により保護しようとする法益と地方公務員法、地公労法が職員について争議行為を禁止することによつて実現しようとする法益との比較衡量により、両者の要請を調和させる見地からこれを評価すべきものであり、その結果は、違法性が強い場合もあり、比較的弱い場合もあろう。したがつて、右規定に違反して争議行為を行つた者に対し懲戒処分を行うかどうか、行うとしていかなる懲戒処分を選択するかについては、右争議行為の違法性の程度に応じ、これと均衡を失することのないように決定されなければならない(前掲最高裁昭和六二年三月二〇日第三小法廷判決における私の補足意見参照)。さらに、例外的に具体的事情のもとで右争議行為禁止規定違反に対して懲戒処分を課することが労働基本権を侵害するものとして違憲となる場合がないかという点も問題となるところである。争議行為を禁止する法令が合憲であるからといつてその違反を理由として直ちにそれが地方公務員法二九条の懲戒処分事由にあたるとしてその処分を正当化するという単線的な論理は成立しないのである。そして、争議行為の違法性の程度について評価を行う場合の基準となるべきものを明らかにし、また適用違憲を考える余地があるかどうかを判断するためには、争議行為の禁止の法令を合憲とする論拠についてその正当性の範囲を検討しておく必要がある。その論拠については、国営企業についての判示であるが、名古屋中郵判決の挙示する合憲のための論拠を検討するのが便宜であろう。

(1) 名古屋中郵判決が合憲の理由として最も重視しているとみられるのは、公務員は憲法八三条に示される財政民主主義にのつとり、法律と予算の形でその勤務条件を決定される地位にあるとするところである。この理由は非現業の国家公務員についても妥当するし、非現業の地方公務員、地方公営企業の職員も同様である(岩手県教組判決は、財政民主主義の原則が地方公共団体についても妥当することを前提としている。)。この見地から公務員等に対しては労使による勤務条件の共同決定を内容とする団体交渉権も、その交渉の過程の一環として予定される争議権も憲法上当然に保障されているものでなく、勤務条件は、国会や地方議会が法律、条例、予算をもつて決定すべきものとされるのである。

この論拠は憲法上の基本原則である議会制民主主義を基礎としつつ、公務員等の勤務条件は憲法上すべて国民(住民)の全体の意見を代表する国会(地方議会)の決定にゆだねられるものとし、団体交渉によつて決定することはこの原則に違背するものであり、そこから争議権も保障を受けられないのであつて、この点は私企業において労使間の自由な交渉で勤務条件が決定されるのと本質的に違うところであると考えるものであり、公務員等に対し争議行為を禁止する法令の合憲の論拠として有力なものと考えてよい。

しかし、この論拠をもつて公共部門における争議行為を一律全面的に禁止し、すべての場合に適用しても違憲の問題を生じないとするに十分であるとは思われない。この考え方によれば、公労法や地公労法が団体交渉権、労働協約締結権を定めているが、これは立法裁量によつて法律をもつて与えられた権利にすぎなくなり、公務員等は、団結権は別として、それ以外の労働基本権を享有していないこととなり、それが憲法二八条にいう勤労者に当たるということと矛盾する感を免れない。憲法七三条四号や八三条の規定は、たしかに公務員の勤務条件のすべてが法律や予算で決定される原則を示しているようにみえるが、それらの規定はそもそもかつて天皇大権事項であつたものを修正し、民主的コントロールのもとにおこうとしたものであるし、勤務条件の大綱は国会が定めなければならないとしても、その範囲内で団体交渉で定めることを排除するものではなく、およそ勤務条件のすべてを国会の自由な決定にゆだねるとする論拠として十全なものとはいえない。いわゆる財政民主主義の原理も憲法における抽象的なひとつの原則であるけれども、それは硬直した内容のものではない(最高裁昭和五三年(オ)第八二八号同五六年四月九日第一小法廷判決・民集三五巻三号四七七頁における中村裁判官の補足意見参照)。公務員等の勤務条件を国会が自由に定めうる議会制民主主義のもとであつても、労働基本権の保障もまた憲法上の要請である以上、両者を調和的に実現することが必要であり、またそれが可能である。この調和をどのように実現するかは国会の立法上の裁量にまつところが大きいとしても、憲法二八条の要請に十分に配慮することが求められる。そして現に欧米先進諸国において、わが国と同様に財政民主主義の原則をとりながら公務員の団体交渉権、争議権をわが国のように制限していない例の多いことは、両者を調和的に実現できることを示しているものといつてよい。したがつて財政民主主義、勤務条件法定主義といつても直ちに争議行為のすべてを禁止する論拠となりうるものと即断すべきではない。

(2) 公務員等の勤務の内容が公共性を有することはいうまでもない。地方公営企業にあつても、まさにその業務の公共性の故をもつて公営とされているのであり、職員の業務は公益上の目的をもつものであり、したがつてその業務の停廃は、国民(住民)全体の生活の利益を阻害するものといえる。この点が地方公営企業の職員を含めて公務員等に対し争議権を否定する理由として有力なものであり、(1)に述べたところは、団体交渉によつて勤務条件を決定することが認められない点を通じて、団体交渉と連動する争議権を否認する論理であるのに対し、この職務の公共性は、まさに直接的に争議行為を認めない根拠となりうるのであつて、私もまた争議権の制限の合憲の理由は主としてここにあると考えている。

しかし、すでに指摘したように、公務員等の勤務内容は千差万別であるところからその勤務のもつ公共性には大きな程度の差があることは否めない。国民全体の利益という観念は抽象的であり、争議行為とその利益とのかかわりは一様ではない。具体的状況のもとで業務の停廃がどのような影響を国民生活に及ぼすかによつて、当該争議行為の違法性の程度は左右されるものであるというべきであるから、右争議行為の影響を考えることなしに、禁止された争議行為を行つたことが直ちに懲戒処分に値するとか、あるいは一定の種類、程度の懲戒処分をもつてのぞむことが相当であるとするのは即断にすぎよう。

(3) 国営企業の場合、労使関係に市場の抑制力が欠如しており、そのため争議権の保障が勤務条件の適正化に働かないことが挙げられる。国営企業は公共的な政策を実現することを本来の目的とするものであり、その提供する役務・商品は代替性に乏しく、また国営企業の場合、労働者の過大な要求により経営が悪化し企業の存立が危うくなるという危険性はほとんどないといつてよく、争議行為が一方的な圧力となるおそれのあることはたしかであるから、そこでの争議権が制限を受けることはやむをえないところである。しかし、この論拠も一般的には妥当するとしても、国営企業の内容によつて一律に適合するとはいえない。地方公営企業については、国営企業と同じにみられる面もあるが、地公労法の適用を受ける企業は限定的に定められておらず(三条一項八号)、内容、規模、独占性など多種多様であつて、その提供する役務・商品に代替性があることも少なくなく、またその経営基盤が強固でないところもあるなど、国営企業と異なる面もある。例えば、清掃事業や病院事業などを考えると、それが地方公営企業として経営される場合に、現在の状況のもとで果たして市場の抑制力が労使関係に働くことがないと断定できるかどうか疑問も残る。したがつて、この論拠も争議行為を禁止する法律の合憲であることを補強するものではあるが、すべてにわたつて適用を合憲とする根拠とはなりえないと思われる。

(4) 法が争議行為を単純に禁止するのではなく、その禁止に見合う代償措置を規定していることも、合憲の根拠として強調されるところである。労働基本権の保障は、憲法二五条に定める生存権の保障を基本理念とするものであり、合理的理由に基づき団体交渉権や争議権を制限する場合にも、その基本理念に照らしそれに代わる有効な措置を定めることが要請されるのである。地公労法の場合には、争議権に代わる措置が国家公務員や国営企業の職員の場合に比して必ずしも完備しているとはいえないが、労働委員会によるあつせん、調停、仲裁のほか一般の私企業の場合にはない強制調停、強制仲裁の方法を認めており、代償措置として必要な最小限の内容を備えているといえよう。そして、代償措置のあることは、労働基本権の制約が合憲とされるための前提条件というべきであるから、単に制度として措置が設けられているのみでなく、それが実際上も実効性をもつて機能していることが要求されるものと解さなければならない(最高裁昭和四三年(あ)第二七八〇号同四八年四月二五日大法廷判決・刑集二七巻四号五四七頁における岸、天野裁判官の追加補足意見参照)。そうであれば、代償措置を設けることによつて争議行為を禁止する法令が違憲であることを免れうるとはいえ、代償措置がその本来の機能を果たしているかどうかということとの関係において、具体的な場合についての適用が違憲となる場合も生じてくるものといえよう。

以上のように考えてみると、名古屋中郵判決が国営企業の職員の争議行為禁止の根拠として挙げる前記(1)ないし(3)の理由は、それぞれについてみると公務員等の争議行為を一律全面的に禁止する根拠として十全なものではないといわざるをえないが、それらの理由及び代償措置のあることを総合して考慮すると、禁止の法令を憲法二八条違反とする主張を却けるに足りるものであり、これは、地方公営企業の職員に対して同様の禁止をする地公労法一一条一項においても多少の留保はあるとしても基本的に妥当するものである。

しかしながら、争議行為の禁止がやむをえないものであるとしても、右禁止違反に対する懲戒処分等の制裁についての決定は、財政民主主義の原則や職務の公共性もそれぞれについてみると争議行為を一律全面的に禁止する理由として十全なものではないという点をも考慮して、必要な限度を超えないように慎重になさなければならないと考える。とくに、争議行為の違法性の程度は、争議行為の目的、内容、態様、影響、争議行為に至るまでの当局側の対応の仕方などの諸般の事情により強弱の差があるものというべきであり、したがつて、懲戒処分を行うかどうか、行うとしていかなる処分を選択するかについては、右の諸般の事情を勘案して、争議行為の違法性の程度と均衡を失することのないように決定されなければならない。また、法の定める代償措置が本来の機能を果たさず、その実効性が失われている場合に相当と認められる範囲を超えない手段態様で争議行為を行うときなどは、その行為者に懲戒処分を行うことは憲法二八条に違反し許されないものというべきであろう。

五  当裁判所は、懲戒処分について処分権者にきわめて広い裁量権を認めている。原判決の依拠する最高裁昭和四七年(行ツ)第五二号同五二年一二月二〇日第三小法廷判決・民集三一巻七号一一〇一頁(以下「神戸税関判決」という。)は、国家公務員につき懲戒事由のある場合、懲戒処分を行うかどうか、行うとしていかなる処分を選ぶかはすべて懲戒権者の裁量にゆだねられ、懲戒権者がこの裁量権を行使して行つた処分が社会観念上著しく妥当を欠き裁量権を濫用したと認められる場合でないかぎり、その処分は違法とならないとし、裁判所が処分の適否を判断するにあたつて懲戒権者と同じ立場に立つて考えるべきではないと判示している。この考え方に立つ以上、実際上、懲戒処分が社会観念上著しく妥当を欠くとされる場合はわずかしかないと考えられ、懲戒処分についての司法審査はきわめて狭い範囲に制限されることになる。一般論として、懲戒処分は公務員等の日常の勤務状況など幅広い要素を勘案してなされるところから、懲戒権者に裁量が認められるべきであろうが、右の基準は硬直にすぎるように思われる。そして、とくに争議行為を理由とする懲戒処分においては、すでに指摘したように、憲法の保障する労働基本権にかかわるものであり、その制限に違反した者に課せられる制裁は必要最小限にとどめなければならないという要請があることを考えると、ここでも裁量権をきわめて広く認容し、裁判所の審査をほとんど働かしめない見解は相当でないと思われる。なかでも免職処分のような最もきびしい処分にあつては、特別の考慮を必要とすることは、右の判決において環裁判官の反対意見の指摘するとおりである。なお、神戸税関判決は、争議行為に対してきびしい制裁も許されると解される非現業の国家公務員に関するものであつて、その判旨を、むしろ私企業に近い事業活動であることの多い地方公営企業の職員にそのままあてはめることにも問題がないわけではないことを付言しておこう(もとより私企業にあつても企業側に懲戒処分について裁量権が認められようが、その相当性などについて裁判所のコントロールがかなり広く認められている。)。

私は、法により禁止された争議行為を理由とする懲戒処分の適否の判断にあたつては、具体的状況についての諸般の事情、すなわち、当該争議行為がどのような目的をもつて行われたか、その行為の態様がいかなるものであつたか、争議の結果の職務の停廃によつて公共の利益にどのような影響を与えたか、被処分者がその争議においていかなる役割を果たしたか、さらに争議行為の具体的な内容がどのようなものであつたか、争議に至るまでの当局側の対応がどのようであつたかなどが考慮されなければならないと考える。これらの事情を勘案し、労働基本権の保障の趣旨を考慮して当該行為の違法性の程度を評価し、これと懲戒処分とを対比した結果、両者が均衡を失していると考えられる場合には、その処分は裁量権の範囲を逸脱し又はこれを濫用したものとして、裁判所にあつて違法と判断され取消しを免れないというべきである。

六  そこで、前記四及び五で述べた観点に立つて、上告人らに対する本件各懲戒処分の適否について考えるに、原審の認定する事実からみても、本件争議は、本件財政再建計画に含まれる、病院に勤務する単純労務職員二六六名の多数の分限免職、勤務条件の改正に反対しその撤回等を求めて行われたものであり、その目的はおよそ労働組合にとつて最も重要なものであつて理解できるものである。しかも、病院、水道事業の再建が市にとつて急を要する施策であるとしても、右再建計画は職員の身分、勤務条件に関する重要な事項を含むものであるから、その議決前に関係組合との間で十分な話合いが行われる必要があるにもかかわらず、右再建計画案の議決までにもたれた組合との交渉回数は合計五回で、各回とも時間は二、三時間程度であり、交渉内容も、当局側が病院職員の分限免職、給料表改正等の説明を行い、これに対する若干の質疑応答と当局側に計画の手直しをする意思があるかどうかをめぐる論議がなされた程度にすぎず、実効性のある団体交渉が十分につくされたものとはみられない。また、本件争議の態様は、北九州市職員組合と北九州市役所労働組合による昭和四二年一二月一四日の始業時から約一時間の職場離脱と北九州市病院労働組合による翌一五日の二四時間にわたる二病院での同盟罷業であり、その同盟罷業においては、日曜休日なみの診療体制が維持され、混乱回避のための諸種の措置がとられたというのであり、住民の公共的利益にはさほど大きな影響は与えていないものとみられる。上告人らは、いずれも一般行政職員であり、組合の役員として病院の同盟罷業を含む本件争議を企画、指導したものであるから、その責任は決して軽いものではなく、相応の懲戒処分を課せられることはやむをえないところであるが、右の事情に照らしてみると、上告人平田長雄に対する懲戒免職処分は、同上告人が本件争議について実質的に最高責任者の地位にあつたことを考慮にいれても、その行為の違法性の程度と対比して著しく均衡を失しており、裁量権を濫用したものとして違法といわざるをえない。しかし、その余の上告人和田光弘外三名に対する懲戒処分は、六か月の停職処分にとどまるものであり、本件争議の態様、影響、各上告人の地位及び役割等にかんがみて、それが制裁として適切なものであつたかどうかの点は格別、裁量権を濫用したものとまではいうことができない。

以上の次第で、私は、原判決中上告人平田長雄に関する部分は破棄を免れず、同上告人に対する処分を取り消した第一審判決は正当であるから、同部分につき被上告人の控訴を棄却すべきものと考えるが、その余の上告人和田光弘外三名に関しては、その上告を棄却すべきものとする多数意見に賛成するものである。

(裁判長裁判官 坂上寿夫 裁判官 伊藤正己 裁判官 安岡満彦 裁判官 貞家克己)

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